ちいさな幸せのおはなし
今朝は朝食にアボカドトーストを作った。とは言っても、最近はアボカドにハマってるから私の朝食はほぼ毎日アボカドトーストなのだけど。
それでも、私の今日の1日はちいさな幸せから始まった。
そのちいさな幸せというのも、ただ、アボカドを切ったら中の種がいつものアボカドより小ぶりだった、ただそれだけ。
だって、中の種が小さいと食べれる部分も多いでしょう?(笑)
昨日もアボカドトーストを作ったのだけど、1つ卵を床に落として、「ああ!!1つで25セントもするのに!!」なんて独り言でドケチぶりを発揮したことが帳消しになるくらいのちいさな幸せ。
日常のなかで見つけるちいさな幸せ、例えばめざましテレビの星座占いが1番だったときとか、スタバの店員さんがカップにメッセージをかいてくれたとき、目玉焼きが綺麗に焼けたとき、好きな彼と一瞬だけ目が合ったとき (それは恋愛初心者すぎ…)、 そんなようなこと。
ちいさなことだから、忙しい毎日の生活のうちに簡単に忘れ去られてしまうようなことなのだけども、私の1日に多少なりとも嬉しい、と思える瞬間をくれるもの。
でも、そんなちいさな幸せに嬉しい、と感じられるのはいつまでなのだろうか。いつか私はその瞬間に何の感情も抱かなくなってしまう日が来てしまうのだろうか。
こどもの頃、よく言った言葉がある。
「早く大人になりたい。」
大人の基準なんてよくわからないのに、当時の私はただひたすらに、基準の定まらない「大人」になりたいと思っていた。
両親から自立して、一人暮らしをして、稼いだお金で好きなものを買う、当時の私にはそれができることが、大人になることだったんだと思う。
じゃあ実際には、何が大人で、どうしたら大人になれるのだろう。
成人が大人なのだろうか、お酒が飲めるようになったら大人なのだろうか、それとも生活が営めるだけの給料を稼げたら大人なのだろうか、はたまた、結婚をして家庭を築いたら大人になれるのだろうか。
それなら、私はまだまだ子供だ。
私はまだ成人の1歩手前で (カナダではもう成人だけど…)、お酒もそこまで好きじゃないし、両親が稼いだお金で今の生活が成り立っていて、もちろん人生で1度たりとも彼氏がいたことはない…(自分で書いてて悲しくなるなあ!)。
でもこの頃思うのは、大人は、幼かった私が夢見ていたものよりも、ずっと大変で、ずっと寂しくて、不安を抱えている。
私が幼い頃に夢みた大人と、実際の大人は、程遠く、かけ離れたものなのかもしれない。
それに気づいたのは極最近のこと。
大人の定義はやっぱり難しい。
でも、今の私は、大人を夢見ていた頃の私より少しだけ、少しだけ 大人、に近づいたと思う。
それが良いことかどうかは別として。
ひとつだけ、ずっと昔にされた質問を今でもよく思い出す。もういつその質問をされたのかはよく覚えてない。
彼は私にこう訊いた。
もし俺と○○が海で溺れていたとして、1人だけ助けることかできるとするなら、お前はどっちを助ける?
意味がわからない。それはどういう質問なのだろうか。咄嗟に私が思ったことは、
「2人とも私より泳ぐの得意じゃん…。」
口にはしなかったけど。
私の答えは「私が死んで、2人を助ける。」だった。
私の答えは彼が期待したものとは全く違うものだったんだろう。この答えだって、全く筋が通っていない。質問の答えになっていない。
ただどうしても私はそう答えるしかなかった。
どちらのことをどれだけ愛していようが、憎んでいようが、私は同じように答えたし、数年経った今、また同じことを訊かれたとしたら、多分同じ回答をするはずだ。
普通はこの質問にどう返答するのだろうか。そもそも答えないのだろうか。
正しい答えなんてもちろんないのだろう。
それから彼はそれ以上のことは訊いてこなかったし、私もそれ以上何も言わなかった。
大人になったらこの質問の正解を見つけられるのだろうか。正解を見つける必要のない質問だし、きっと質問をした当の本人は忘れているはずだ。この質問の答えを探す時間すら無駄なんだろう。
だけど、どうしても忘れられないのは、私があの日の自分の言葉に後悔をしているからなのだろうか。どうか、これを読んでいるひとのなかに、真っ当で、知識のあるひとがいるのなら教えてほしい。あの頃の私は、彼にどんな言葉をかけてあげれば良かったのだろうか。それとも彼もまた、私と同じように 子どもだったのだろうか。もしくは、不安や寂しさを抱えた大人のうちのひとりだったのだろうか。
今の私は大人になることが怖い。夢を追うことに夢中になって、気づかないうちにその夢が自分の中の義務になってしまうことや、目的を失ってしまうことが。でも、また子どもの頃みたいに、何も知らないままで夢を見続けるのは、それもまた子どもなんだと思う。ただ、子どものころのように、少しだけ休憩して、1日のなかにちいさな幸せを見つける余裕を持っていたい。そうやって、1日ずつ大切に生活していたら、いつかは大人になれるのかな。
でもまだ、来年もアボカドを切ったときに、小さな幸せを感じられるくらいには、まだ子どものままでいたいかもしれない
2021/09/28 Miha