夢の中で会いましょう

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私が思っているよりも時間はもっと早く、誰を待つことなく流れてしまう。歳を重ねるにつれて、何に対する焦りかも気づけないでいるうちに新しい焦りに肩を叩かれて、思い出されることなくその焦りは元からそこにはなかったかのように忘れられてしまう。ここ数年はそんなことばかりだ。忘れてはいけないはずなのに、忘れてはいけないことだと分かってはいるのに、どうして気づかないまま終わりにしてしまえるのだろうか。どうして私は同じ場所を歩いていたことに気づけないでいるのだろうか。許し、がいつまでも許されるとは限らないのに。私の中の甘え、はどこまでも図太く私の中に居座って、どれほどの後悔を重ねたのかを忘れさせてしまうからすごい。反省、が意味をなさなくなってしまう。

 

書いては消して、方法を変えてみて、角度を変えてみて、成功があったかどうかの回答が必要なのだろうか。正解なんてわざわざ書かなくたって分かるよね。正解を文字に起こして読んでしまうことの方がもっと辛い。だから、必要ない。気付くのが、確かめるのが、怖くて仕方ない。私が間違っていて、私以外は正しい回答を選んでいて、間違いを正すことで自分が間違っていたことを認めてしまうことにジリジリと鈍くて重い痛みを感じる、あの感覚が大嫌いだ。私のプライドが高いことなんて私が1番よく知っていて、誰に言われると私のそれはより強く、タトゥーのように消えなくしてしまう。でもタトゥーなら痛みは最初とその後の数日間だけなのだからまだマシなのかもしれない (入れたことないに知ったような…)。いつか、「あなたは能天気だから分からないよね」「あなたは楽観的だからあなたに相談しても仕方がない」みたいなことを言われた。数年経った今でも忘れられない私のタトゥー。能天気、楽観的、今思い返してみてもそれがいい意味なのか、悪い意味なのかなんて今はもうどうでもいいし、それを決めるための考える時間を誰が余してくれるのだろうか。はっきり言えるのは、圧倒的に後者だと、3秒で分かってしまうこと。

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最近は息ができないような感覚になることがよくある。半畳ほどしか無い部屋の四方をセメントで固められたような場所に立ち尽くすような。息苦しくて、呼吸の方法がわからなくなってしまうような、そういうの。自分の立っている場所が、本当に自分の立っていた場所だったのか、はたまた本当は全然別の場所に立っていたのか、確かめようとするとどこかで拒絶反応みたいに、砂のお城が崩れるようにして思考が消える。人付き合いは元々苦手だったし、今だって過去形にできない、むしろ進行形の状態。10代最後にしてまだこの段階って、なかなか笑えてしまう。もう少し頑張りなよ私。私の ”呼吸困難” (ではないけど) はいつも誰かといるときで、誰かに置いて行かれてしまうときだ。あれ、私は?ああごめん、私は元からそこにいなかったもんね。この自問自答を脳内再生。痛々しくて、そういう自分大好き。そんなわけあるか。普通に悲しいと思うし、私だってどうにかしたい。なのに、第一声が出てこない。どういう言葉が適切か、どの言葉を選べば気を悪くされないか、その答えを探しているうちにもう私は気づいたら半畳のセメントの中で呼吸の方法を忘れていた。その後の私は割とあっさりで。まあいいか。

 

ピアスは一度だけ開けたことがある。耳たぶ。まあ塞がってしまったのだけど。開ける前はビビりまくって、何分友達を待たせたのだろうか (あるあるだよね)。開けた感想はこんなもんか、ぐらいだった。でも、ピアスの痛みは後から来るんだよね。ヒリヒリして、だけど意味のわからない達成感。ピアスと同じで、私も後から感情が現状に追いついてくる。めんどくさいから同時に来てくれればいいものを、厄介な性格だと自分でも断言できる。例えばシャワーを浴びている瞬間とか、眠りが降りてくるまでの数十分から数時間。1人になってやっと痛みを自覚してしまう。この時間が1番辛いと感じる。からい、じゃなくて、つらい。

どうでもいいけど、なんでからいはつらいなのだろう…(?)

 

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例えば、オルゴールのネジをひねるように、ダイヤル式の電話を左にくるっと回すように、そんなことをすれば時間が巻き戻るんじゃないかと思う瞬間がある (イメージ的には、も…しもボックス)。もちろんそんなことが起こるはずがないことは私だって知っている (流石にラストティーンだもの…)。明日の天気を祈るような、それくらいのちょっとした願望のようなものなのだから。あの体験をもう一度してみたいとか、ほんの少しの時間だけあの頃に戻れたらとか、考えるだけならタダで、許されて、傷つかない、その程度なら自分の中に閉まっていても誰も咎めないでしょう?この願望のようなものはいつも、忘れて欲しくないと訴えかけてくるように眠ろうとする意識のうち出てきてしまう。数え切れない感情は雪崩のように崩れ落ちて、気づいたら考える、という選択肢は睡魔が食べてくれたのだろうか。意識は夢の中に移っている。

 

いつもそうなのだ。考えが感情に追いつかない。セメントの壁は崩れないし、タトゥーのような傷は消えなくて、ピアスホールにはしこりが今も残っている (そうですか)。私は自分でも言ってしまえるくらいのしつこい性格だから取り留めもないことをいつまでも考えては夢の中に落ちて、また新しい1日を何もなかったかのように始めてしまう。多分、明日も。それがいいことか悪いことか、今は分からないけど、いつか思い出して私のタトゥーや、しこりは正しい方法で消えてくれるといいな。

 

いつか、本当にいつか、この半畳のセメントの部屋から出られる日を、明日の天気を祈るように、願っている。切望じゃない。子供の頃のように、靴を飛ばして、靴が上をむいてくれればいいな。それぐらいで今は十分なのだ。

 

今日の夜も私の天使(キムテヒョンさん)が作ったsleepを聞いて寝れば悪い夢は見ないはず。

 

あーーしたてんきになーーーあれ!!

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2021-04-25

 

miha