52hz のうた

少し前にある小説を読んだ。人生に疲弊してしまった主人公が田舎の家で細々と暮らていると、ある虐待されているらしき少年と出会い、その主人公と少年が互いに生きるべき場所を見つける、といった物語だった。この物語で重要な意味を持つのが ”52ヘルツのクジラ” なのだ。


これは有名な話だと思うが、クジラは歌を歌うらしい。長くて1時間以上も歌うのだという。彼らは15〜25hzの周波数でコミュニケーションをとり、彼らの大きな声は数千キロ先にいるクジラにも届くのだ。でも世界に唯一、他のクジラと違う周波数で歌うクジラがいるらしい。そのクジラは他のものたちとは全く違う周波数の52hzで歌うことから、52呼ばれ、1980年代から存在が確認されている。彼は発声する周波数が他のクジラとは違いすぎるために、仲間のクジラに出会うことができず、ひとりで海を彷徨い続けていることから、”世界で最も孤独なクジラ”と呼ばれているのだ。暗い海のなかでひとり、誰にも届くことのない歌を何十年も歌い続ける孤独は、それはきっと寂しいなんて言葉で易々と片付けられるようなものではないとわたしは思う。いつ誰に届くかなんて希望、私が52だったらとっくに捨てているはずだ。

f:id:im_cloudbear:20220205180737j:image


私の大好きな曲の一つにWhalien 52という曲がある。というのも、わたしがあの小説を手にしたのはこの曲が大好きだったから、ただそれだけだ。この曲もこの”世界で最も孤独なクジラ” になぞらえて歌詞が書かれている。

여긴 너무 깜깜하고

ここはとても暗くて


온통 다른 말을 하는 다른 고래들 뿐인데

みんな違う言葉を話す 他のクジラばかりだ

이렇게 또 한 번 불러봐

こうしてもう一度歌ってみる

대답 없는 이 노래가 내일에 닿을 때까지

返事のないこの歌が 明日に届くときまで

 

わたしもそうだ。

わたしもここではこのクジラと同じだ。わたしは他の言葉を話すひとたちに囲まれたこの場所で、ずっとわたしの声を、私の52hzの声を、見つけてくれる誰か、を探していた。

f:id:im_cloudbear:20220205180657j:image

 

今更だが、これはわたしの自己満足で、ただのひとりごとで、わたしのなかで収まりきらなくなって溢れ出てしまいそうな声の一部を文字で繋げたようなものだから、今ここまで読んでくれた私の稚拙な はなしに興味のないほとんどのひとはスクロールする指を今すぐ止めたほうがいい。読んでくれようとする誰かの時間を無駄にしてあげたくて書いているわけではないのだから。限られた時間を大切にして欲しい、だから意味の無いだだのこの文字の羅列を読み進めることはあまり勧められない。

f:id:im_cloudbear:20220205181153j:image

 

留学をしに異国の地、トロントに来てもう1年が経とうとしている。1年も海外で暮らしていれば、それはもう英語での日常生活に支障なんてないだろうと言うひともいれば、1年だったらまだまだのびしろだらけだろうと言うひともいるだろう。考え方なんてひとそれぞれだし、実際にわたしは1年が経ってもまだ不安定なままだけど、言い訳を考えようなんて今はもうしない。まだまだ自分が至らないことだらけなことは自覚しているつもりだし、わたしはわたしなりに頑張っている。知らない誰かの価値観なんて押し付けがましいものに耳を傾けているのもただの時間の浪費にすぎないと思っている。

 

先から言ってるように時間は大切だ。

時間はひとをいい方向にも悪い方向にも変えてしまうことができる。1年という時間を自由に使えるとして、ひとが外見も、内面も、考え方も、夢や目標も何一つとして変わらないままでいられたとしたら、それは逆にすごいことではないのだろうか。1年という時間はいい方向にも悪い方向にも、ひとを変えてしまうには十分すぎる長さだと思う。それなのに、私はこの1年間、ずっと平行移動をしていただけだったように感じる。逆にすごい。何も成長していないいないことに危機感を覚えている。今日のわたしも、1年ほど前の自分と変わらず、幼いままで、周りのひとたちが早足で駆け上がっていくのを横目に、どうでもいいというフリをしながら、ジリジリと自分のなかで、彼らを羨み、妬む感情に自分すらも気づかないように、そして彼らにも気づかれないように、と考えて唇を噛み締めているだけなのかもしれない。わたしの1年は確実に進んでいたはずなのに、わたしはまだスタートが見える距離をゆらゆら歩いていて、もうわたしを追い越して走って行ったひとたちの足跡なんてとうに消えてしまっているものだから、追いつこうと頑張って走ってみても、もう足跡がないから道に迷ってしまったんだ。そもそもわたしは地上より、水中のほうがいい。泳ぐのは得意だけど、走るのは苦手だ。汗をかくのなんて真っ平だ。そういえば、私に向かって魚に似てるね、と言ってきたあの子は元気にしているだろうか。もうどうせならわたしも海の中を自由に泳げる魚になってしまえたら、幾らか楽になれるかな。そうしたら世界を周り、そのうちに旅の中のきれいなおはなしだけをしてあげられるひとに出会えるのかな。

f:id:im_cloudbear:20220205181434j:image

 

話が随分脱線してしまった。

あるひとがわたしに「そっちでの生活はすごくお洒落に見えるね。」と言ってくれたことがあった。それもそのはずだろう。だって、そう見えるようにしているのだから。本当は何もない、つまらない生活を必死で隠したくて、まるで充実した生活をしているように見せているだけだ。実際の生活なんて、誰かが羨んでくれるほど輝いてなんかいない。毎日真っ暗になった部屋に帰って来ては、ひとり暗い部屋のなかで腕を頼りなさげに宙で動かして電気のスイッチを探すことを寂しく感じる日々のどこに輝かしさを感じられるだろうか。おかえり、の声が聞こえるだけで、どれだけ安心感を覚えるかなんて1年前までは考えたことすらなかったのに、ひとりになった途端、寂しくてもうここまででいいんじゃないだろうか、もう諦めてしまってはいけないのだろうか、なんて自分のこれまでの選択の全てを否定してしまいそうになる。


こんなこと絶対に誰にも言えないが、わたしのほうが、羨ましかった。友達同士で楽しそうにしているひとたちを画面越しで見るのと、今の何もない自分がどうしようもなく恥ずかしくて、近くに信頼に足る誰か、がいるひとと自分を比べては、自分はなんでここにいるのだろうか、と過去の自分の選択を恨めしく思ったりもした。そうは思ってしまったとしても、この誰にでもできるわけじゃない、今のたくさんのひとに支えられた生活を無碍にしたいわけじゃない。そうじゃない。だけど、それでも、寂しいなんて感情は過去の全ての決断や努力を滲ませてしまえるほどに強いのだ。自分の選択に後悔はないし、もし時間を戻して選択しなおせるのだとしても、わたしは同じ決断をするだろう。でも、それは意志の強さや、責任、義務とは全く別のもので、わたし自身のための選択で、わたしがやりたいことで、他の誰かに負けたくないと、負けてはいられないというプライドでもあるのだ。

 

それでもそんな寂しさを埋めるための何か、をずっと探していたような気がする。楽しくなれば、悲しさも、寂しさも忘れて、今の生活をもっと充実させられるんじゃないかと思った。いい考えだと思った。寂しさを楽しさで埋めてしまえば、そんな寂しさなんてそれはもう、初めから無かったことのようになる、そう期待した。

f:id:im_cloudbear:20220205180839j:image


できなかった。そうじゃなかった。忘れちゃいけないんだ。いや、忘れたくないと思った。他のものに置き換えようとしていいわけがない。だって、その寂しさは何にも変えられない大切なものだから。代替品なんてそこにはなくて、悲しさも寂しさも何かに置き換えて、もしその代替品を楽しんでしまったら、まるでそれは私が元の生活、今まで大切にしてきたものの存在をなくても大丈夫なのだと証明しているようで怖くなった。そう考えるのは、自分の問題に前向きになろうとしていない、自分の出来の悪さから目を背けるための言い訳とも捉えられるし、実際に私自身もそう考えなくもない節はある。でも、寂しさも悲しさも他の何かで埋めて忘れてしまったら、今までそこにいてくれた大切なものたちがポツポツと全て泡のように消えてなくなってしまったら、と考えるとそっちのほうがずっと怖くて仕方がなかった。


現実逃避かもしれないが、わたしは今のこの環境で成長しきれていない自分を守るための言い訳をするために、自分から52hzのクジラでいようとしているだけなのだろうか。

 

私にも何かしらの目標や夢、それこそ、何も持たずして生まれたものの、困っているひとを助けたいと願い、スーパーヒーローを目指してヴィランに立ち向かう少年や、幼い頃に結婚を誓った少女の呪いを解呪するために呪いと戦った少年、高さが勝負のバレーボールの世界で、小さいながらも世界を目指して飛び続ける少年のような、大きな目標があったのならわたしは他のみんなと今も競える距離を走っていたのだろうか。寂しさなんて感じることのないほどに、今のこの生活を楽しんでいたのだろうか。でも ”if” には終わりがない。"もし”は現実ではないし、過ぎてしまったことはもう正すことは簡単じゃない。でも、スーパーヒーローを目指した少年や、特級術師になった少年、最強の囮と呼ばれた少年、のように今から大きな目標も見つけることなら、わたしにもできるのだろうか。今から走り出してもまだ、みんなに追いつけるのだろうか。いや、みんなのことは遠過ぎて見えないけど、走っていれば、走り続けるのをやめなければ、いつかはわたしも、彼らとわたしの52ヘルツが届く場所で出会えるのだろうか。わたしは寂しさを他の何か、で代用することはできなかった。でも、それでもいい。もう無理に忘れてしまおうなんて考えない。届かない声でも走り続けていればきっといつかは誰かに届いてくれるはずだろう。寂しいも楽しいも同じ52hz で歌えるはずだと、信じている。


きっと他のどこか遠い場所で誰かが同じ52hzで歌っているのなら、見つけてあげたい。ちゃんとわたしにも届いているから。

 

Feb 5, 2022 

ちいさな幸せのおはなし

今朝は朝食にアボカドトーストを作った。とは言っても、最近はアボカドにハマってるから私の朝食はほぼ毎日アボカドトーストなのだけど。

それでも、私の今日の1日はちいさな幸せから始まった。

そのちいさな幸せというのも、ただ、アボカドを切ったら中の種がいつものアボカドより小ぶりだった、ただそれだけ。

だって、中の種が小さいと食べれる部分も多いでしょう?(笑)

昨日もアボカドトーストを作ったのだけど、1つ卵を床に落として、「ああ!!1つで25セントもするのに!!」なんて独り言でドケチぶりを発揮したことが帳消しになるくらいのちいさな幸せ。

日常のなかで見つけるちいさな幸せ、例えばめざましテレビの星座占いが1番だったときとか、スタバの店員さんがカップにメッセージをかいてくれたとき、目玉焼きが綺麗に焼けたとき、好きな彼と一瞬だけ目が合ったとき (それは恋愛初心者すぎ…)、 そんなようなこと。

ちいさなことだから、忙しい毎日の生活のうちに簡単に忘れ去られてしまうようなことなのだけども、私の1日に多少なりとも嬉しい、と思える瞬間をくれるもの。

でも、そんなちいさな幸せに嬉しい、と感じられるのはいつまでなのだろうか。いつか私はその瞬間に何の感情も抱かなくなってしまう日が来てしまうのだろうか。

f:id:im_cloudbear:20210928111438j:image


こどもの頃、よく言った言葉がある。

「早く大人になりたい。」

大人の基準なんてよくわからないのに、当時の私はただひたすらに、基準の定まらない「大人」になりたいと思っていた。

両親から自立して、一人暮らしをして、稼いだお金で好きなものを買う、当時の私にはそれができることが、大人になることだったんだと思う。

じゃあ実際には、何が大人で、どうしたら大人になれるのだろう。

成人が大人なのだろうか、お酒が飲めるようになったら大人なのだろうか、それとも生活が営めるだけの給料を稼げたら大人なのだろうか、はたまた、結婚をして家庭を築いたら大人になれるのだろうか。

それなら、私はまだまだ子供だ。

私はまだ成人の1歩手前で (カナダではもう成人だけど…)、お酒もそこまで好きじゃないし、両親が稼いだお金で今の生活が成り立っていて、もちろん人生で1度たりとも彼氏がいたことはない…(自分で書いてて悲しくなるなあ!)。

でもこの頃思うのは、大人は、幼かった私が夢見ていたものよりも、ずっと大変で、ずっと寂しくて、不安を抱えている。

私が幼い頃に夢みた大人と、実際の大人は、程遠く、かけ離れたものなのかもしれない。

それに気づいたのは極最近のこと。

大人の定義はやっぱり難しい。

でも、今の私は、大人を夢見ていた頃の私より少しだけ、少しだけ 大人、に近づいたと思う。

それが良いことかどうかは別として。

f:id:im_cloudbear:20210928114000j:image

 

ひとつだけ、ずっと昔にされた質問を今でもよく思い出す。もういつその質問をされたのかはよく覚えてない。


彼は私にこう訊いた。

もし俺と○○が海で溺れていたとして、1人だけ助けることかできるとするなら、お前はどっちを助ける?

意味がわからない。それはどういう質問なのだろうか。咄嗟に私が思ったことは、

「2人とも私より泳ぐの得意じゃん…。」


口にはしなかったけど。


私の答えは「私が死んで、2人を助ける。」だった。


私の答えは彼が期待したものとは全く違うものだったんだろう。この答えだって、全く筋が通っていない。質問の答えになっていない。

ただどうしても私はそう答えるしかなかった。


どちらのことをどれだけ愛していようが、憎んでいようが、私は同じように答えたし、数年経った今、また同じことを訊かれたとしたら、多分同じ回答をするはずだ。

 

普通はこの質問にどう返答するのだろうか。そもそも答えないのだろうか。


正しい答えなんてもちろんないのだろう。


それから彼はそれ以上のことは訊いてこなかったし、私もそれ以上何も言わなかった。

 

大人になったらこの質問の正解を見つけられるのだろうか。正解を見つける必要のない質問だし、きっと質問をした当の本人は忘れているはずだ。この質問の答えを探す時間すら無駄なんだろう。

 

だけど、どうしても忘れられないのは、私があの日の自分の言葉に後悔をしているからなのだろうか。どうか、これを読んでいるひとのなかに、真っ当で、知識のあるひとがいるのなら教えてほしい。あの頃の私は、彼にどんな言葉をかけてあげれば良かったのだろうか。それとも彼もまた、私と同じように 子どもだったのだろうか。もしくは、不安や寂しさを抱えた大人のうちのひとりだったのだろうか。

f:id:im_cloudbear:20210928122421j:image

 

今の私は大人になることが怖い。夢を追うことに夢中になって、気づかないうちにその夢が自分の中の義務になってしまうことや、目的を失ってしまうことが。でも、また子どもの頃みたいに、何も知らないままで夢を見続けるのは、それもまた子どもなんだと思う。ただ、子どものころのように、少しだけ休憩して、1日のなかにちいさな幸せを見つける余裕を持っていたい。そうやって、1日ずつ大切に生活していたら、いつかは大人になれるのかな。

 

でもまだ、来年もアボカドを切ったときに、小さな幸せを感じられるくらいには、まだ子どものままでいたいかもしれない

 

 

2021/09/28 Miha

夢の中で会いましょう

f:id:im_cloudbear:20210426080224j:image

私が思っているよりも時間はもっと早く、誰を待つことなく流れてしまう。歳を重ねるにつれて、何に対する焦りかも気づけないでいるうちに新しい焦りに肩を叩かれて、思い出されることなくその焦りは元からそこにはなかったかのように忘れられてしまう。ここ数年はそんなことばかりだ。忘れてはいけないはずなのに、忘れてはいけないことだと分かってはいるのに、どうして気づかないまま終わりにしてしまえるのだろうか。どうして私は同じ場所を歩いていたことに気づけないでいるのだろうか。許し、がいつまでも許されるとは限らないのに。私の中の甘え、はどこまでも図太く私の中に居座って、どれほどの後悔を重ねたのかを忘れさせてしまうからすごい。反省、が意味をなさなくなってしまう。

 

書いては消して、方法を変えてみて、角度を変えてみて、成功があったかどうかの回答が必要なのだろうか。正解なんてわざわざ書かなくたって分かるよね。正解を文字に起こして読んでしまうことの方がもっと辛い。だから、必要ない。気付くのが、確かめるのが、怖くて仕方ない。私が間違っていて、私以外は正しい回答を選んでいて、間違いを正すことで自分が間違っていたことを認めてしまうことにジリジリと鈍くて重い痛みを感じる、あの感覚が大嫌いだ。私のプライドが高いことなんて私が1番よく知っていて、誰に言われると私のそれはより強く、タトゥーのように消えなくしてしまう。でもタトゥーなら痛みは最初とその後の数日間だけなのだからまだマシなのかもしれない (入れたことないに知ったような…)。いつか、「あなたは能天気だから分からないよね」「あなたは楽観的だからあなたに相談しても仕方がない」みたいなことを言われた。数年経った今でも忘れられない私のタトゥー。能天気、楽観的、今思い返してみてもそれがいい意味なのか、悪い意味なのかなんて今はもうどうでもいいし、それを決めるための考える時間を誰が余してくれるのだろうか。はっきり言えるのは、圧倒的に後者だと、3秒で分かってしまうこと。

f:id:im_cloudbear:20210426080649j:image

最近は息ができないような感覚になることがよくある。半畳ほどしか無い部屋の四方をセメントで固められたような場所に立ち尽くすような。息苦しくて、呼吸の方法がわからなくなってしまうような、そういうの。自分の立っている場所が、本当に自分の立っていた場所だったのか、はたまた本当は全然別の場所に立っていたのか、確かめようとするとどこかで拒絶反応みたいに、砂のお城が崩れるようにして思考が消える。人付き合いは元々苦手だったし、今だって過去形にできない、むしろ進行形の状態。10代最後にしてまだこの段階って、なかなか笑えてしまう。もう少し頑張りなよ私。私の ”呼吸困難” (ではないけど) はいつも誰かといるときで、誰かに置いて行かれてしまうときだ。あれ、私は?ああごめん、私は元からそこにいなかったもんね。この自問自答を脳内再生。痛々しくて、そういう自分大好き。そんなわけあるか。普通に悲しいと思うし、私だってどうにかしたい。なのに、第一声が出てこない。どういう言葉が適切か、どの言葉を選べば気を悪くされないか、その答えを探しているうちにもう私は気づいたら半畳のセメントの中で呼吸の方法を忘れていた。その後の私は割とあっさりで。まあいいか。

 

ピアスは一度だけ開けたことがある。耳たぶ。まあ塞がってしまったのだけど。開ける前はビビりまくって、何分友達を待たせたのだろうか (あるあるだよね)。開けた感想はこんなもんか、ぐらいだった。でも、ピアスの痛みは後から来るんだよね。ヒリヒリして、だけど意味のわからない達成感。ピアスと同じで、私も後から感情が現状に追いついてくる。めんどくさいから同時に来てくれればいいものを、厄介な性格だと自分でも断言できる。例えばシャワーを浴びている瞬間とか、眠りが降りてくるまでの数十分から数時間。1人になってやっと痛みを自覚してしまう。この時間が1番辛いと感じる。からい、じゃなくて、つらい。

どうでもいいけど、なんでからいはつらいなのだろう…(?)

 

f:id:im_cloudbear:20210426081039j:image

 

例えば、オルゴールのネジをひねるように、ダイヤル式の電話を左にくるっと回すように、そんなことをすれば時間が巻き戻るんじゃないかと思う瞬間がある (イメージ的には、も…しもボックス)。もちろんそんなことが起こるはずがないことは私だって知っている (流石にラストティーンだもの…)。明日の天気を祈るような、それくらいのちょっとした願望のようなものなのだから。あの体験をもう一度してみたいとか、ほんの少しの時間だけあの頃に戻れたらとか、考えるだけならタダで、許されて、傷つかない、その程度なら自分の中に閉まっていても誰も咎めないでしょう?この願望のようなものはいつも、忘れて欲しくないと訴えかけてくるように眠ろうとする意識のうち出てきてしまう。数え切れない感情は雪崩のように崩れ落ちて、気づいたら考える、という選択肢は睡魔が食べてくれたのだろうか。意識は夢の中に移っている。

 

いつもそうなのだ。考えが感情に追いつかない。セメントの壁は崩れないし、タトゥーのような傷は消えなくて、ピアスホールにはしこりが今も残っている (そうですか)。私は自分でも言ってしまえるくらいのしつこい性格だから取り留めもないことをいつまでも考えては夢の中に落ちて、また新しい1日を何もなかったかのように始めてしまう。多分、明日も。それがいいことか悪いことか、今は分からないけど、いつか思い出して私のタトゥーや、しこりは正しい方法で消えてくれるといいな。

 

いつか、本当にいつか、この半畳のセメントの部屋から出られる日を、明日の天気を祈るように、願っている。切望じゃない。子供の頃のように、靴を飛ばして、靴が上をむいてくれればいいな。それぐらいで今は十分なのだ。

 

今日の夜も私の天使(キムテヒョンさん)が作ったsleepを聞いて寝れば悪い夢は見ないはず。

 

あーーしたてんきになーーーあれ!!

f:id:im_cloudbear:20210426081621j:image

 

2021-04-25

 

miha

 

 

 

 

恐怖の前で私は真顔でいられない

f:id:im_cloudbear:20210311030858j:image

 

思い返してみても、私は何事においても嫌なことは後回しにするタイプだと思う。LINEの未読は当たり前、長期休暇の課題は始業式の日にオールなんて毎度のことで、多分、今回もそれなんだ。面倒くさい、を武器にして怖い、を見えないようにしているんだ。

 


面倒臭いから、後回しにしていたらいつの間にかその日になっていた。言い訳。本当は、向き合うのが怖い。返信しても既読無視されるのが怖い、課題の答えを見て、チェックのときに先生から失望されてしまうのが怖い、低い点数が怖い、自分が傷つきたくなくて目を逸らしてしまう。卑屈すぎる。底が見えないくらいの底意地の悪さ。しょうもない。

 


中学のころ、誰も名前も知らない高校を志願した。みんながどこそこ、っていうような学校。まあ田舎だもんね、この街さ。さあ入学。右を見ても左を見ても知らない顔。望んだ結果だ。私を知る人がいない高校を選んだ。制服が可愛くて、都会にある、いかにも将来なんか考えるよりも今が楽しければいい、なんて書いた看板を首にぶら下げたような女子高生になることが夢だったから。結果、怖かった。何がって、誰も知らないから。誰のことも知らなくて、誰も私を知らない。誰も知らないような田舎の街から来た田舎の子。必死で自分の評価を上げられるように頑張った。人間評価。頑張る部分ががまずしょうもない。だけど仕方がない。既にしょうもない人間だもの。必死で言葉を探して、笑顔作った。自分の言葉は正解なのか、不正解なのか、失敗なのか、成功なのか。いつも不安だった。ただのコミュ障なんだろう。許してあげてね。それでも、それなりに、それ以上に楽しかったと思う。思い描いていた女子高生、とまではいかなかったけど、それでも地元でこの制服を着るのはなかなかの優越感だった。可愛いでしょ?この制服、公立だよ。都会のね。なーんて心で呟きながら。本当に腐った性格。まあ、腐りかけのトックよりはましでしょう?この前腐りかかって緑になったトックを見つけたときは驚きで声も出なかったよね。アレよりはまし。そーんな高校生活だった。

 


私の学校は進学を選ぶ生徒が多い。私も進学を選んだ。やりたいことがあった。まあ、それも諸々の理由でやれないから今はお先真っ暗みたいな感じだけどね。進学先はこの何の意味もない、何の需要もない、誰のためにもならない文章の終わりまで伏せておくね。今までもそうしてきたから。私が選んだ今の進学先だって言ってしまえばノリなんだ。確かに少しは考えのなかに入っていたけど、それも5番手あたりの選択肢。だって私のママ、私のことが大好きだから(多分家計の問題で) 家からは出さないって言うんだもんね。だから現実になるなんて思ってなかったんだ。本当にそう決まって、先生に進路変更を伝えたときは天に昇ったような気分だったかもしれない。反面、それまで私の元々の志望校のために協力してくれた先生たちには申し訳ない気持ちしか無かったけど。進路が形になっていく段階で、嬉しかったし、いろいろ調べては夢みたいでその時間も楽しかった。日を追うごとにその計画は確実になって、気づいたら自分でも表しきれない数の感情でズタズタになっていった。怖くなってしまった。家族や友達から離れるのが。怖くて怖くて、布団にくるまって泣いた。寝る前は嫌でも考えてしまう。同じ理由で同じように泣く日なんて何度あったか思い出すだけ時間の無駄だからもうその辺に捨てておこう。でも今日にはもう泣かなくなっていた。泣いたって避けられないし、その事実と対峙してしまうと怖くて絶対に泣いてしまうことなんて分かっているから。

恐怖の前で私は真顔でいられない。

笑ってなんかいない。泣くこともない。正面を向けないでいる。現実であることを否定する。すぐに、本当のことだと気づいて考えるのをやめた。もう寝よう。あと数時間で朝になるから、朝になったらまた顔を洗って、歯を磨いて、ご飯を食べたら、大好きなわんちゃんたちの頭がボサボサになるくらいに触ってやるんだ。そうしたら次の日私はもう日本にはいない。

 


明日の私はもう目を逸らさない。

前を向いて、恐怖に唾を飛ばしてやるんだ。

 


いままで、支えてくれてありがとう、新しい地で頑張っていきます。

 


Good night

2021/03/11

あなたの小説のなかへ

まだ暑さは残ってるのに、昨日の朝は何だか秋の匂いがした。わたしの好きな秋がもう、近くにいるのかな。暦上の9月は秋の始まり。だからなのだろうか。秋に生まれた彼は本を読むひと。メンバーのなかでも1番の多読家。そんな彼に憧れて、わたしも本を読むのが好きになったのだと思う。

f:id:im_cloudbear:20200913003552j:image

 

彼の第一印象はIQ148の天才リーダー、とかだったと思う。とても頭がいいひと。発する言葉のどこかにいつも知的さが見えて、あなたの言葉が安心を与える。ジンくんとテヒョンがコンサート中に喧嘩したときも、一時的にその場を落ち着かせて、メンバーの士気を上げ、入るまえに泣いていたテヒョンを慰めたのは彼だった。テヒョンはジミンといろいろな相談だったりをするらしいが、キムテヒョンが1番 弟、を見せるのはナムジュニひょんな気がする。名前の通り、大きな木(ナム)みたいな(?)

f:id:im_cloudbear:20200913004254j:image

 

彼の歌詞はときにすごく甘くて麻薬みたい。すごく、ずるいの。全部わかっていて、もっと溺れさせるような歌を作るのだから。Pied Piperはとんでもないわたしの麻薬。Pied Piperハーメルンの笛吹という意味らしい。
ハーメルンの笛吹きグリム童話で、笛吹き男がネズミ退治をしたのに、報酬が貰えず、笛を吹いて街中の子供たちを連れていったという物語。この物語をテーマに歌を書いたあなたの思惑通り、わたしは誘惑されて、抵抗もできずに、連れてかれてしまう(言い方)

 

피리소릴 따라와 이 노래를 따라와
笛の音についておいで この歌についておいで

 

조금 위험해도 나 참 달잖아

ちょっぴり危険でも僕はすごく甘いから

 

널 구하러 온 거야 널 망치러 온 거야
君を助けに来たんだよ 君をダメにしに来たんだよ

 

니가 날 부른 거야 봐 달잖아
君が僕を呼んだんだよ ほら甘いでしょ

 

全部見透かされていて、もう最初からわたしの負けで、気づいたときにはとっくに、彼らに”ダメ“にされてた(そのときから なむじゅにおっぱに ちゃっけ… って言われるために生きてる)

 

f:id:im_cloudbear:20200913004449j:image

 

ボンボヤNZだったか、彼がジミンに「楽しまなきゃいけないのに、負担がある」と言ってた気がする。ボンボヤも確かに仕事であるからか、彼は旅行中も自分がRMであることを忘れきれなくて、26歳のキムナムジュンとBTSのRMが交錯してるみたいに。メンバーがボンボヤNZで出かけても、遊びにいきたいけど、作業をしなきゃ、と一日中曲を作っていた。彼は今日も世界を馳せるBTSのリーダー。でもまだまだ27歳の青年なのだ。

f:id:im_cloudbear:20200913004924j:image

오늘은 뭐로 살지
今日はどっちで生きよう

 

김남준 아님 RM?

キムナムジュン それともRM?

 

스물다섯, 잘 사는 법은 아직도 모르겠어
25歳、上手い生き方は未だにわからない


これは2年前の彼が歌った曲。
一般の若者ができない経験をした彼、そして一般の若者ができる経験をできなかった彼。彼は27歳が抱えるには大きすぎるものを、抱えてわたしに夢を見せてくれる。その分をわたしは彼にどれだけ返せているだろうか?彼がわたしにラブマイセルフの方法を教えてくれたように、わたしは彼が再度、星を見上げられるようにしてあげれるだろうか?人前で涙を見せない彼が、ファイナルコンで流した涙を、守れるだろうか?

f:id:im_cloudbear:20200913003608j:image

 

誰かが 「防弾少年団はキムナムジュンのために作られた」と語っていた。彼はインタビューで「BTSじゃなかったら、何になっていると思いますか?」と訊かれると、「サラリーマンになっていたと思う」って答える。あなたがもしサラリーマンになっていなかったら、防弾少年団は結成されず、わたしは防弾少年団を知らないで、今より少し寂しい世界を生きていたはず(だって人生ダナイマイトだもの…)
サラリーマンにならず、防弾少年団のリーダーになってくれてありがとう。

 

彼はキャパシティが少ないわたしの本棚の本のうちの1冊で、彼はわたしを本の中の主人公にしてくれる。だから、わたしは彼の角を食べる蚕になろう。そうしたらわたしは、彼の本に干渉できるだろうか?


f:id:im_cloudbear:20200913003539j:image

너의 책장의 일부가 되고파

너의 소설에 난 참견하고파

 

남준이오빠 생일 축하해!!!

 

 

きみの痛みがまだ続くのなら ともに、

暑すぎる8月を後にして、生まれたきみ。
きみは金色に輝く末っ子。でもまだきみは 好きなことをしていい24歳の青年なんだよね。きみの7年は 痛みををたくさん背負って 数えきれない 悲しみを味わってたんでしょう?きみはいつも 熱い熱をもったひと。そして、きみはいつもきみの熱をわたしたちに見せてくれる。でも、それがとても熱くて、眩しそうだから、わたしにはまだ、触れそうにない気がする。

 

f:id:im_cloudbear:20200901020442j:image

 

きみがわたしたちにくれた歌。

 

僕を信じてほしい
まっすぐに君だけを見て
どこにも行かないように

 

切望するような言葉がわたしには 痛くて、

きみが書いた「愛されたい」がとても 悲しかった。きみがたくさん 愛をくれるから、それ以上をきみにあげたいのに、わたしはきみに ちゃんとあげられているか、不安で。

 

f:id:im_cloudbear:20200901021142j:image

 

きみの作ったうたのなかの言葉。きみの作るうたのなかにはいつもどこかに 悲しさ がいる気がする。

 

망설인다는 걸 알아 진심을 말해도
ためらう気持ちはわかる 本心を話したとしても

 

결국 다 흉터들로 돌아오니까
結局全部傷になって返ってくるから

 

わたしはきみの痛みを味わうことも、きみの重りを持つこともできない。ただ、きみにその瞬間が1秒でもあって、傷ができてしまったという事実を知ることしかできない。でも、きみに「すべてが怖かった」ときがあるのなら、わたしはそのときの倍の時間を きみを幸せにするために使いたい。

 

f:id:im_cloudbear:20200901021604j:image

 

きみの右腕には きみの優しさと、愛と、意思が刻まれている。きみの腕には誕生花のオニユリが。花言葉の「わたしを愛して」がとても、きみのようで ちょっとくらくらしてしまう。きみがその痛みを味わってまで 愛してくれるから、わたしはこれまでの7年とこの先のきみの未来まで約束したいな。まっすぐ、7人だけを。

f:id:im_cloudbear:20200901021059j:image


still with youのなかのきみは雨の中にいるみたいだね(わたしはジミンシィと喧嘩して、ねがちゃるもってっそよ…した日のジョングクだと思ってる…)

 

함께 웃고 함께 울고
一緒に笑って一緒に泣いて

이 단순한 감정들이
この単純な感情が

내겐 전부였나 봐
僕にとってはすべてだったみたいだ

 

f:id:im_cloudbear:20200901021007j:image


きみの中心にはいつも、6人の兄さんがいた。同い年のひとができない経験をしてる以上に、きみができるはずの経験をできなかったきみ。
兄さんのそばで純粋に笑ってるきみが、BTSのジョングクであっても、24歳のチョンジョングクであっても、ずっとずっと幸せでいてほしい

きみがもうこれ以上の痛みを知らないように、
どうか、ずっと笑っていて。
ひとりで悲しい夜がありませんように。

わたしは何度だって 君の名前を呼ぶから。

ジョングガーーー!!

さらんへ!さらはんだご!!

さらはんだにっか!!

f:id:im_cloudbear:20200901020609j:image

 

내가 나인 게 싫은 날 영영 사라지고 싶은 날
문을 하나 만들자 너의 맘 속에다
그 문을 열고 들어가면 이 곳이 기다릴 거야
믿어도 괜찮아 널 위로해줄

 

정국 생일 축하해!!
나도 당신의 미소 뒤편에
아름다운 보랏빛을 그려볼래요

8月と憂鬱


8月だからか、長く続く雨のせいか、果てが見えないウイルスのせいか、わからない。

自分も気づかないうちに、気が滅入っているらしい。

 

 

 

最近変わったことといえば、コーヒーが飲めるようになった。牛乳が入ってるやつじゃなくて、致死量の砂糖が入っているものでもなくて、ブラックコーヒー。まだ少し苦味を感じるけど、ここ数日、喉が渇くとその苦味を求めてしまう。でもそれが何だか大人になったように感じて少し嬉しくて、自分のなかの子供を捨ててしまったようで、ちょっぴり、寂しい。ほそくさんに少し近づいて、てひょんさんから少し、離れてしまったような(?)

 

 

 

最近、毎日のように、韓国のことを考えている。ひとで溢れる明洞、なんでそんなところに?と少年団の等身大がポツン、と立っている弘大、緩やかな坂を登ったところにテオ書店がある景福宮、曇りのせいで南山タワーが見えない漢江、カップルで溢れたロッテワールド、何処も行きたいのに、行きたいと考えるしかできなくて、毎日苦しい。前回の渡韓の帰る飛行機の中で、また、再来年来ますね、、と心のなかで呟きながら1人窓側のシートでエンエン泣いて帰ってきたことを思い出す。受験が終わるまでは、我慢しよう、と。

最近の明洞は、前の姿を忘れてしまったようにポッカリスッカリ人がいないらしい。寂しいな。あの人だらけの明洞に人がいないことを想像できないから余計に。少しでも早く、ヤツが消滅して前の姿を取り戻してくれることを、切に願っている。

 


彼らはどうしているのだろうか?不定期で来てくれる生配信。それだけが唯一、彼らの今、を知る手段。会いたい、を昇華できる時間。彼らは彼らで失って得た時間を大切にしているみたいだ。多分、AgustDも日本アルバムもその代替品。その代替品だって、彼らの血汗涙だ。誰かも言っていたけど、私ができることは、大金かけて、よりたくさんのCDを買って、彼らの財布を肥やすこと(言い方よ)

8月もいっぱい貢ぐヨ❗️❗️🥺🤍

 

 

 

今は、何が不安なのか、何が不満なのか、はたまた、そんなモノ自体感じているのか、気づけない。ただ、何をしても満足しなくて、憂鬱がたちこめている(既視感では?) 何にも申し訳なく感じて、関わりが薄くなった友達を勝手に心配して、でも何もできないでいる。彼女はわたしなんかよりも、ずっと苦しそう。何かに苦しんでそうだけど、分からないから、気づいていないふりをして、無視してみよう、私にだってどうにかしたいと思えるほど余裕はないので…(え?)

でも、なんでかいつも、お腹が空いてるような気分(サイコ…のコムニョンです)

 


モノを買えば、好きなものを見れば、したいことをすれば、空腹も収まるのかと思った。だから、好きな家具を買って貰って、久しぶりに欲しい服を買ってみて、部活を引退したから好きなように時間を使ってみた。多分、違うみたいだ。時間はできたし、お金も足りないわけじゃない。だけど、何も満たされてる気がしない。本を読んでいないからか?、それとも、まだまだ好きなことをしきれていないからか?なんでなのだろう。八月病????(とは?)

部活を引退したら、やりたいことはたくさんあったはずなのに、何も思い出せない。いまは虚無なのです。絵を書いてみたりしたけど、なんの才能も無くて散らかして捨てました(そうですか)

時折、持ってるものを言葉通り投げ捨てたくなったり(しませんが)、ただベッドで気が済むまでずっと寝てたり(情緒不安定なん?)して、ちょっともったいない時間を過ごしている。

 


今日も、てひょんさんの愛されたい、が頭から離れない。彼は、幸せでいるだろうか、寂しくないだろうか、美味しいものを食べているだろうか、辛いことは無いだろうか、健康でいるだろうか、分からないけど、分からないから願うしかできないのでしょう。

 


今日は8月が来た、2日目。

明日からは少し、変わるといいな。

 

f:id:im_cloudbear:20200802202849j:image

 

 

수고했어 오늘도!!

내일도 건강하고 하루하루 소중하게 살자!!